かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

バレンタインデー前夜に捧ぐ

愛、それはエロスでしょうか。
別に性愛に限った事ではなく。
性愛が愛の確認作業だとしたら、何故フーゾクが存在するのか。
そこに愛がないからなのでしょうか。

小難しい定義をしても仕方がありません。だって、好きなんだから。
貴乃花じゃないけど、
「好きだから・・・ただそれだけです」
程度のものじゃないんかなぁ。愛なんて。まあ、貴乃花は結局ダメになりましたが。

何らかの幻想を抱いている間は、「愛こそ全て」と確信してやまず、その幻想が弾けると、「愛は虚妄」と変容する。
工藤静香「群衆」(確か、中島みゆき作品だったような)の言葉を借りるなら、
「100年も続かないドラマ」
ですか。
その儚さ、破れた時の虚しさ・・・愛にはそんなネガティブな側面を内包しているにも関わらず、
盲目なんですよね・・・「愛は地球を救う」くらいの妄想を簡単に抱ける。

論理的思考からいけば、愛ほど非論理的で、非合理で、不条理なものはない。
打算だけで、見知らぬ他人の為に自分のリソースを使ったり、愚かな息子の借金を肩代わりしたり、郷里の両親に仕送りなんてできないし。
愛にはそれを超越させる、陳腐な言い回しをするならば、
「神秘なチカラ」
を秘めている、と。

論理の世界に生き、合理性を追求し続けてもなお、侘しさにココロ荒ぶ夜を迎えるならば。
非論理的なモノの中に、快楽は潜んでいるのかもしれない。
愛は私を救う。may be じゃダメだ。確信して。

加藤あいは私を救ってはくれないでしょうけど(苦笑)

(と)