かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

労働の本質

今日もボクは、コンベヤの下で寒さに震えながら妄想をしていました
例えば、こんな話。

本妻の子供、妾の子供、養子で連れてこられた子供
身なりは多少違っても、同じ屋根の下で過ごす
親は、そんな子供たちを分け隔てなく育ててくれたし、子供たちの間でも、
身分の違いを面と向かって口にすることは、殆どなかった
皆、和気藹々と、同じようにはしゃぎまわる

でも、お小遣いの日。
親は子供を、このときだけは別々に呼んでお小遣いを渡す
言わずもがな、本妻、妾、養子の子・・・の順番で、少なくなっていく
でも、そのコトについて、面と向かって「ねぇ、どうして?」と問えるものはいない
だって、生まれながらにして、そういう身分に決まってしまっているのだから。

…今日の新聞を見たら、勤務先の潤沢な設備投資の記事が、2つも載っていました
―例えば似たような記事・・・あの自動車メーカーが1兆円の純利益をたたき出したとして、
末端の請負工員の待遇に、1円の上積みもない―

養子のボクたちは、決して不満を口にすることなく、今日も2時間半の残業を、
轟音のコンベヤの下で、半分寝ながら遣るのです
トランシーバが久しぶりに鳴ったと思えば、

「おーい、寝てんじゃないのか」

(と)