かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

No Reason

先日の講習の時、こんなプリントを渡されました。
働く理由〜なぜあなたは就職するのか〜
当てはまる項目にチェックして、その理由を書いてみよう

1.収入を得るため(その使い道は?)
2.働くのが好き(どんなところが好き?)
3.どうしてもこの仕事がしたい(そう思うのはなぜ?)
4.社会参加したい(どんな形で?就職以外の方法は考えた?)
5.自分を試してみたい(何をしてみたいの?)

6.理由なんてない(どんな仕事でもいいの?)
7.人が言うから(誰が、何て言われたの?その時何と答えたの?)
8.他にすることがないから(じゃあこれから働くだけ?)
9.就職しないでやりたいことがある(今すぐ何をやりたいの?)
10.よく分からない(でもモヤモヤしてる?それとも焦りがある?)
11.本当はしたくない(何でしたくないの?)
12.みんながするから(みんながしないとやらないの?)

散々悩んで、チェックをしたのが6. 8. 10. 11.
11.の問いにだけその理由を書いてみた
「労働が本質存在だとは思えないから」と

でも、違う。何かが違う。
働くと腹が減る→食べるために働く→働くと・・・という循環に違和感を感じるように。
「食べるために働く」というのが労働へ突き動かす大前提であるコトは、何となく分かる。
ココに、
「イヤなら(食べるためだけに働くなら)死ねばいいじゃん」という例の思想が割り込んでくるのだ。

自己の永続性を追認できるなら、30歳まであと何年で、その為には今コレをして・・・云々と
キャリアプランニングを出来ようにも
乖離している。日々の延長としての自己像を想起できない。
30歳の自分どころか、明日の自分ですら想起できない。
今日死んでしまうのに・・・死なないで存在している数年後の自分は、自分じゃない

キャリアプランニングシートを渡されたときの、あの言いようもない違和感
(5年後、10年後、20年後の自分がどうなっているか書いてみましょう)
来るべき未来のために働く違和感

明日死ぬかもしれないのに・・・死ねばいいのに。

(と)