かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

leave me alone

鬱の長いトンネルを抜けると、そこは。
ようやく、ここしばらく続いていた、サイコーに鬱い気分から抜けたようです。
秋が終われば、寛解するのかい?
いちいち、自分の鬱に対して、原因を探ったり、対処法に思案に暮れるコトは放棄してます。

意味ないですから。

仮に内因であろうと、外因であろうと、システム由来であろうと。
特に、解決策がないので。
無駄あがきして○○療法を試したところで、キレイさっぱり治るんならいざしらず。
未だ持って、その手の治療によって全快していないのが。。。ええ
そんなめんどい過程を全部すっ飛ばすのは、クスリ飲むコトでしょうけど。
偉大だね、○○療法すら考える余地をなくすんだから。
校庭に引かれた楕円のラインを、真っ直ぐ走っているつもりなのに(実際、真っ直ぐ走っている)気がついたら、スタートラインに戻っていた・・・

そんな感じ。まあ、(少なくともボクは)向精神薬によって、鬱が治った(治ったような気になったことはあったが)コトはなかったです。
意味ないので、止めました。もうすぐ、2年になります。早いものですね。
何とか、生きていますし、仕事もだらだらとやっています。
鬱だからって、仕事が出来ないかと言えば、そんなことはなく。
現在、増悪期にある人は別ですが、停滞期に入れば(つまり、「どうにもならない」と、自覚していれば)クスリなんてなくてもなんとかなりますよ。

意識さえ、「鬱」に向かわなければ。

ダメな例として、「鬱である自分」について、考えに考えすぎる場合。
考えたって、鬱がよくなるわけではないですし、寧ろ。
まあ、考えるな、というほうが難しいのはよくわかります。
だからボクは、寝る前の数分だけ、「鬱である自分」について考えるようにしています。

深く溜息をついて、「はあ〜死のうかな・・・」と呟く。
声に出したほうがいいです。声に出せば、そこから先の思考は続きません。
あとは、ネガティブな部分を文字として排出してしまえば。
脳内で還流すると、ロクなことになりません。鬱は鬱を産み、思考は止まり。

別にポジティブシンキングなんてしなくても、友達がいなくても、クスリなんてなくても。
多分、ほっとけば鬱のトンネルは出口があるでしょう。そこが、雪国でも。

風花舞う、初冬に。

(と)