かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

脳効き5周年にあたり(中編)

はい。そんなワケで、本日で5周年と相成りました。
昨日の続きを。

「啓蒙の限界」
この1年。実は、私は脳効きとしてやりたいことを出来たと思っている。
こんなコト書くと、「目新しいコンテンツなんて、ここ最近作ってないじゃないか。馬鹿なことを言うな」と謗られそうだが。
脳効きの看板は、「体験」というコンテンツであると、KuRI氏は自身の日記で書いていたが、私は、「体験を通した啓蒙」であったと考える。

それは、数々の向精神薬を片っ端から試していく事であり、イソミタールをODしてICUに担ぎ込まれる事であり、リタリンに溺れ、薬物依存として精神病院に入院する事であり、そこから回復していく過程であり。
私は、常に自分を極限まで追い詰めた状態を作り出して、それを切り売りしながらコンテンツへと作り上げていた。
ともすれば、コンテンツを作るために自分を追い詰めるという、本末転倒な状態になってまでも、「脳効き」を通して読者に啓蒙し続けた。
それが、今思えば「正しくないコト」であろうとも。

正直、疲れてしまった。「悪い見本」としての自分の生き方に。
自分で良かれと思ってやってきた「向精神薬の知識啓蒙」の挙句の薬物依存。
そして今、「断薬啓蒙」も良かれと思ってやっていたが、果たして本当にそうなのか。
コンテンツを通して、読者に対して何らかの啓蒙を行うコトへの限界は、精神系サイトの崩壊という形で訪れた。
もはや、読者は精神系に、脳効きに対して「啓蒙」など期待していないのだ。

「自己顕示欲と言う名の延命」
そんな現実に直面した私は、コンテンツの大部分を畳んでしまった。しかし、サイトそのものを止めるつもりはなかった。
それは、精神系という形を通して発信してきたコンテンツが、自我拡大の為に存在していた事に他ならない。
もっと自分のコトを知って欲しい、そんな自己顕示欲を抑えられずに、別のあり方を模索しようとした。精神系以外の、別の自分を。

しかし、長いこと精神系サイトをやっていると、「病気である自分」がアイデンティティになってしまい、他の分野への興味も失せ、新たに開拓する気力もなくなっている自分に気付く。
「神亡き時代」に、私は何にアイデンティティを見出せばいいのだろうか。自問自答する日々が続いた。

…まだ続く(ゴメン)

(と)