かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

脳効き5周年にあたり(前編)

明日で、脳効きがついに開設5周年を迎えます。
凡庸な感想ですが、「この5年、早かったな・・・」と。
そこで、5周年にあたり思うことを徒然に。長くなるので、今日は前編。
沿革に関しては、去年の7/24の日記(4周年♪)を参照されたい。

「精神系という対象の喪失」
この1年。数々の大御所といわれた精神系サイトが軒並み閉鎖するのを目の当たりにしてきた。
私自身、この所精神系サイトなんて見ちゃいない。興味がないのだ。
クスリの飲みあわせだの、副作用だの、況やリタやらスニッフ・・・クスリを使わないものにとって、まったく持ってどうでもよく、馬鹿馬鹿しい。
そんなコトを末端の患者同士で議論したって、何の意味もないのに。

つまりアレは、病院の待合室で居合わせた見ず知らずの他人同士が病気自慢をしあう光景と、本質的に何ら差異はない。
狭い世界でしか通用しない、傍から見たらかなり異様な光景。
精神科に通院しなくなった今、たまに別の用事で精神病院に行くと、その異質さがやたらに目に付く。
精神医療というぬるま湯に長いこと浸かっていた反動は、近親憎悪という形で表出した。
この所続いた有名所の閉鎖劇は、そんな無意味さに耐えられなくなった結果かもしれない。

「精神系サイトという概念の死」
何年か前から危惧していたことだったが、とうとう現実に起きていることして受け止めなくてはならなくなった。
精神科受診者層の裾野が、このサイトの開設当初のコトを考えれば驚異的に拡大した現在。
わざわざコンテンツを「精神・おクスリ」に絞ってやる必要などなくなってしまったのだ。
肩肘張って、向精神薬のあり方について議論する時代は終焉を迎えた。
もうそれは、風邪薬を飲むのと殆ど同じ感覚なのだから。

「お悩み相談としてのコミュニティの終焉」
精神系サイトが担ってきた機能のもう一つが、これであろう。
しかしこれも、巨大掲示板の台頭によって、個人レベルで開設・運営することの必然性が弱まってしまった。
個人運営のサイトの場合、管理者の専門知識の限界が付きまとうが、巨大掲示板サイトのそれは、弱小サイトをあっという間に駆逐するのにそれほど時間を要さなかった。
にもかかわらず忍耐してきたサイトも、ここにきて次々と閉鎖を余儀なくされていった。

もう、精神系サイトは死んだ。その事実を受け止める時期がきたのだ。

…続く
(と)