かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

妄想シリーズ「44歳の夏」

10年経っても、イベントのない毎日に悶々としている。
昔、大学時代に教授が云っていた
「所詮、人間は自分のためには生きられないのだ」と

では、俺は誰のために生きているのだろうか。
木曜の夕方、夏の日差しが傾きだして、少し涼しくなった駅のホームで
俺は、そんなコトを自分に問い続けていた

ゆらゆらと陽炎の中を、無機質な電車が滑り込んでくる
あえて強冷房車で、頭をクールダウンさせる。
その疲れきって覇気のない表情に、 向かいに座っている女子高生に眉をひそめられる。
ああ、俺もオヤジと言われるような歳になってしまったのか。その揺るぎのない事実に、俺は頭を垂れた。

今までは、どれほどの年収をたたき出すことができるかが人生の目的だと信じてやまなかった。
しかし、自分にのみしか還元できないような金の流れにどれほどの意味があろうことか。
40も半ばにささかかろうとしている今、妻一人娶れなかったという現実が、最近妙に重くのしかかる。
そう、隣に座っているくらいの少女を見るたびに。

膝丈のピンクのスパッツに、キティちゃんのTシャツ。やや長めのおかっぱ頭。
ジュースを飲んで、むせてる。
ああ、結婚していれば俺にもこのくらいの歳の娘がいたはずなのに。
年収が800万になったって、娘は金で買えるものじゃない。
なぜ、その事にもっと早く気づけなかったのだろうか。

俺はもう、眼前に繰り広げられている数々の現実を正視できなくなり、降りるはずの駅のひとつ手前で電車が止まると、逃げるようにドアから走り出す。
辺りはすっかり日も暮れて、夕闇が迫りだしている。
「もう俺には、帰る家なんてないんだ。どこにも。そう、どこにもないんだよっ!!」
ベンチでうずくまる僕の首筋を、汗が伝っていく。膝の辺りに、汗とは違う雫がぽたぽたと落ちる。

その時。
「おじさん。これ、あげるよ」
さっきの少女が、キティちゃんのカンバッチを僕に差し出した。
僕は突然の出来事に少し戸惑いながら、作り笑いを浮かべる。
「ほらぁ。もっと笑ってよ。これで涙を拭いて、ね」
少女に差し出されたキティちゃんのハンカチで涙を拭うと、俺は会心の笑みを浮かべていた。
こんな笑顔、10年振りくらいかもしれない。

34歳の夏に訪れた最後の恋に身を焦がした、あのときめきが甦った。
「まだ、俺の物語は終わっちゃいないんだ」

(と)