かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

写真について、イミフメイ雑文

高校時代、写真を嗜んでいたんですけど。
曖昧な動機の下に始めたので、「自分の撮りたいイメージ」に固執しなかったのが、却って良かったのかもしれない。
高校写真界においては(一般論でもそうでしょうけど)、
「自己満足で終わってしまう写真」と「賞を取りに行くための写真」の2通りに別れるので。

前者の場合・・・そう、鉄道とか、風景とか。
自分では凄い写真をとっているような錯覚に簡単に陥るけども、コンテストに出すと、予選すら通過せずに落胆する。
視野を広げて、「日本カメラ」やら、「アサヒカメラ」を読むようになると、自分の実力の無さに、ゴミ写真をコンテストに出したと云う事実に、さらに絶望度が深まる、と。

あとやりがちなのが、「自分のペットを撮る」
これも、殆どの例が成功しない。自己満足にしか過ぎないからだ。
自分のペットだと贔屓目に見てしまうけど、評価するヒトにとっては大したコトない被写体に過ぎない場合が殆どであり。
…とはいえ、私の場合も自分のペットを撮って全国行きを決めただけに、完全否定も出来ないんですけどね(苦笑)

後者の話を。
自分的には、全国行きを決めた作品(自分のペット)よりも、同じ大会で入選作品になった「ブランコ」の方が気に入っていたりする。
この写真は・・・公園でブランコを少女2人で漕いでる様子を(一人は座って、もう一人は反対方向に立って)撮ったもので。
(うーん。現物の写真無しで、文字のみで説明するのは困難ですよね。気が向いたら、デジタル化します)
即ち、「賞に入りやすい写真」イコール、「スナップ写真」なのです。
動きのある写真の方が希少性があって、尚良し。
この原則に従って撮影されたのが、入選作なワケで。
顧問の先生としても、「実績作ってナンボ」なワケですから、「賞に入りやすい写真」を撮ることを奨励するし、出品する際の重要なファクターなのは当然でして。

まだ、「何も怖くなかった」一年生の頃だからでしょう。伸び伸び撮っているのが作品から伝わってきます。
大会においても、結構一年生の作品が最優秀に選ばれることが多いのです。
「何でこんな写真が・・・」ということもままありますが、印象として、
「被写体との距離が近く、伸び伸び撮っているのがわかる」
という選評で納得したり。

経験を積むと、「上手く撮ろうとする緊張感」が被写体に伝わってしまうのかもね。

(と)