かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

自由と必然

1日トータルの仕事としては、今日中に上げなきゃならんかった文書の清書も出来たし、良いんですけどね。

ただ、起きてきたのが13時過ぎ、しかも、暑くて辛抱ならないのでという消極的理由で。肉体労働系の作業が入っていたら6時30分頃には起きますから、やや罪悪感の伴う感は否めませんな。
まぁ、以前だったらこんな事で罪悪感すら感じなかったわけですし、進歩・・・してんのかなぁ。

1日の充実度とすれば、今日のように自由裁量で結果出せばそれで良いというよりは、辛くても早起きして、うんざりするほど肉体を酷使して、疲れた体で1時間ちょっと運転して帰ってきて、「あ゛ー。疲れたぁ」と呻きながら寝るほうがよほど1日を有効に使ったという気がしてならないんですけど。

必然空間からの開放としての自由が定義できるならば、そこには積極的意思が介在するわけで。ショーペンハウアーは利害から分裂した真の自由は、意欲や衝動から発生するものであると定義しまして。意欲や衝動なき状態で生きている間は(ちょうど今日みたいな感じ)盲目的意思に飲み込まれてしまい自由とは言えないんだろうなぁ。

積極的意思は、別に金を得るために仕事をしなきゃならんとか、そんなんじゃないですから。それは、利害にとわられている事に他ならないわけで。利害にとらわれない、純粋たる意欲や衝動に基づいて行われるものは「同情」に他ならない、他人の苦悩を自分自身のものとして共有する行為にあるわけで、それこそが真の「自由」と呼べるものであると。

自由に生きるのは難しい・・・