かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

必然

雨。
昨日からの予報だから、予定調和的な休日
死ぬほどだるいので、休みじゃなかったら死んでいたでしょう
…確かに、死んだほうがマシだというのは真実。
毎日毎日、心臓がどきどきして、
「あぁ、今日こそは死ぬんだろうな」と
死にませんが。というか、テオフィリンの副作用であることに気づく

雨がやんでから、呼吸器科。
マルクスの本を読みなから。
第一 厳密に言うと、労働の価値と価格という語は無意味なことばであるにもかかわらず、労働力の価値または価格が、労働そのものの価格または価値であるような外観をとる。
第二 労働者の一日の労働のうち、支払われるのはその一部分だけで、他の部分は不払いであるにもかかわらず、そしてその不払いまたは剰余の労働こそ、まさに剰余価値または利潤となる元本をなすものであるにもかかわらず、まるで総労働が支払をうけた労働であるかのようにみえる。

…うん、別に。
「だからといって、働かなくっていい」と云っているわけではないから

「咳、止まりませんか」
ええ
「点滴していきますか、それと、フルタイドを増量してみますか」
はあ

狭いパーティションの中にいると、○○○ロ・・・いや、
ICUでの日々をフラッシュバックさせる
カーテンが、時々、チラチラっと開き
「ドキドキ・・・しませんか?」と。
「ええ、看護師さんにドキドキします」

ブロスを読んで、早速、<a href=http://www.ki.rim.or.jp/~kami/>「紙2001」</a>を入れてみる。
まあ、確かに便利。
しかし、アレです。タブブラウザの功罪のように
書く文章一つ一つの意味というか、価値が
限りなく希薄になっていく気がして、切なくて

たんたん♪

(と)