かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

月初

月末が終わり、すこしほっとしたところです。
真夏日が続き、冷房病気味になっています。

以前、私と母は共依存、と書いたけれど、それについてつらつらと思っていました。
医者には、「頼りにされているのがうれしいのだ。母性本能があるから面倒を見てしまう。」
などと言われておりました。
前者については、そのとおりだと。
程度の差こそあれ、誰かに必要とされている自分というのはうれしいものである。
ただ、母性本能については、首を傾げざるを得ない。
まぁ、母性本能についてはさんざん議論されていますので、本能ではないとかと
いうつもりではありません。
ただ、私にはその感情が気薄なのです。

母を見ると、何かを思い出させます。
雨の中に捨てられた、濡れた子犬です。
くーん、くーんと言いながら、濡れた黒い目でじっと見る、雑種の子犬です。
母は、「疲れてると思うけど、肩もんでー。」と、哀願するような目で見上げるのです。
私は小さいとき、捨てられている犬や猫を、何度となく家へ連れ帰っています。
育てられるわけもないのに。
そのたびにしかられ、又、同じ場所へと戻しに行くのです。
鳥も金魚も亀も飼っていたし、屋根から落ちたすずめの子ども(まだ、毛も生えていない。目も見えない)を毎年のように拾って、育てようとするのです。
当然、すぐ死んでしまうのですけど。
母が言うには、学校から満面の笑みを浮かべながら、走って帰ってきた私の言葉が、
「ひよこ、飼っていい?」
あのときから、私は何一つ変わっていません。
こんな困った事態になるとは思ってもいませんでしたけど。

                ちゃこ