かみ合わない日常(永遠に暫定)

やってくるこの毎日が、人生だと知っていたら!

精神系バブルの功罪

…とか、尊大なテーマで書こうかと思ったが、2年前の7月23日あたりの、
「脳効き5周年にあたって」を読み返していただけば、新たに加筆するようなコトは、特にない気がする。

「マイナスの特権意識」というのは、非常に当を得ていて思わず苦笑してしまったが
リアル社会において「鼻つまみ」な存在が、ネット上でどうしてこんなにも生き生きと描かれるのだろう・・・
なんて問うのは実に愚かで、「敗者のためのお手軽自己実現メディア」としての
精神系サイト開設は、時代の要請であろう(大仰な

実社会において敗北体験に塗り固められた彼らにとって、それをただネット上に公開するだけで奇妙な賞賛を勝ち取ることができた当時、
「もしかして、俺って才能があったのかも」
などと、間違った認識を植えつけることになったのは歴史的な必然だったのかもしれない。

実体のない自信と、肥大化した架空の実績によって、相変わらず実社会では
「凡人」の彼らが、いつの間にかごく限られた業界内で「大物」とか称され、
その後、大物に相応しい転落っぷりを見せ付けた・・・
ネット上でのバブル崩壊が、無価値な実像に連動し、廃人同然になったり、
自殺したりと、彼らの末路は悲惨を極めることとなり。

かくいうボクも、落ちるところまで叩き落ちたところで、たまたまクスリと
縁が切れたからこの歳までまだしつこく生き延びている・・・
それが良かったのかどうか、最近になって少しずつ肯定できるようになってきたのかも

「失われたもの」は「得たように感じていたもの」を遥かに凌ぐ。
取りようのないアンケートだが、バブルに加担した人たちに、
「あなたがバブル時代に失ったものは何か」と問えば、きっと1位は
<b>時間</b>でしょうな。
あの頃の時間、そして情熱を、もっと有意義なものに振り向けていれば・・・
なんて、非常に愚かな悔いなのだが、もう、そんなコトさえどうでもよくなってしまった。

僕らは毎夜、規則的に集まって、縁側に腰掛けながら呟く。
戦火を潜り抜け、生き延びてしまった老人たちは、
「あぁ、アイツも死んでしまったのか」と。

(と)